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絵本『ぼくはいる』
¥1,320
『ぼくはいる』 イーダ トモコ え イーダ コーイチ ぶん 発行 2017 年 12 月 24 日 初版 1 刷 定価 1200円(+税) 印刷・製本 精興社 NDC913 32P 16×23cm ISBN978-4-909468-01-7 Published by SUIJINSHA,Inc., Printed in Japan. 『ぼくはいる』 ぼくはいる/あいだにいる 子どもは知っている世界で一番やさしい哲学 <コンセプト> 自我の確立する年齢、つまり、自分を自分と認識する年齢は、 鏡をみて自分とわかる年齢だと言われています。 つまり、2才ぐらいになると自分を認識できるということになります。 それから、「わたし」という自我となってくると、それはとても長い期間がかかります。 いわゆる、アイデンティティと呼ばれるものです。 幼少の期には、自分というものに、価値があるかどうか、存在の濃淡など考えませんが、大人になる過程で、様々な事象にぶつかり、それによって自我に目覚めていきます。 自殺の原因は様々ですが、存在の希薄さを感じたり、自分の無価値にとらわれるのも一つではないでしょうか。そのときに、「わたしがいる」と声をだして言った経験が役に立つのではないかと絵本を作成しました。 絵本の冒頭、人々の間にいる、歩く、食べるなど単純な動作から出発しているのは、根本的な行為により、自己を確認していくことが大切なのではないかと考えたからです。また、大人(親)は子どもの世界を形作る手助けもできるし、更には邪魔することもできる大きな存在です。同時になくてはならない存在です。いずれは、その人とも別れるときがくると思うと、どうなるでしょうか。それは親が子どもから離れていく、死の問題も考えられます。最後のページの流れ星には、星になった人への憧憬も込められています。 デカルトの「我思うゆえ、我あり」という有名な言葉は、自分の存在を疑うことから始まりますが、子どもは存在を疑うことをせず、否定も肯定もしない。ただ、あるがままです。 この絵本を読み聞かせているときに、子どもの行為そのものに新たな気づきを得られるように、後半は行為にフォーカスして、主語をなくしたのもそのためです。 「ぼく、わたし」という主語を脱落させたときに、日本語では、その主語を補います。 たとえば、ワニがいるページで、「たいようもたべる」としたときに、「ワニが太陽も食べる」と見られますし、 「ぼくは太陽もたべる」ともできますし、更に、太陽にフォーカスすると「ぼくもたべるし、太陽もたべる。」ともなります。 この絵本に限りませんが、一つの絵本を通して、より深く日本語の様々な可能性を感じて欲しいという願いもありました。 絵本の可能性は親(読み手)と子どもというコミュニケーションが必要となります。読み手の声と間やリズムが子どもにとって、コミュニケーションの原型となる。 そんな絵本の可能性を信じて、まず第一作品『ぼくはいる』を上梓しました。
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よっちゃんと木になるネコ
¥1,430
『よっちゃんと木になるネコ』 絵 イーダトモコ 文 イーダコーイチ デザイン・構成 小笠原幸介 企画編集 飯田晃一 <あらすじ> 女の子とネコの物語。 女の子の名前はよっちゃん。ネコの名前はヤナ。 二人はいつも一緒に遊んでいた。 ある日、突然、ヤナが死んだ。 よっちゃんは、ヤナを庭に大事に埋めた。 すると、埋めたところから芽がでて、大きな木になった。 木には実がなり、実からニャーニャーと聴こえてきた・・・。 <お話しについて> この物語は、少女とネコの交流の物語です。しかし、ネコはすぐに死んでしまいます。ネコの死から少女はネコとの本当の交流をするのです。我々、大人は、日々、あまりにも多くの人やモノやコトと出会っています。電車や職場、テレビや雑誌、広告、SNSのインフォメーション、凄惨なニュースもそうです。どれも深く関わっている実感をもつことはありません。それはどうしてでしょうか。 おそらく、途轍もない速さと大量の情報が、我々には、早すぎて多すぎるからではないでしょうか。 行き交いすれ違っているモノやコトは、近くにいる友人や一緒に住んでいる家族も例外ではありません。 どこかで、ふと立ち止まることはあっても、本当に大切なものまで、すぐに別のモノやコトに埋もれてしまいます。日々にとって、自分にとって、大切かどうかも確認する機会もないのではないでしょうか。 だけど、大人でも大切な人の『死』に出会うと失ったものの大きさや日々の重さにやっと気づかされます。そのときに、あの時の、『彼』ではなく、『死』のあとの『彼』と再会するのです。この物語は少女とネコですが、大人であるならば、大切な「彼」として考えられます。彼岸と此岸の間を往還するような混乱が生じることもあるでしょう。 ここで、わざわざ『大人』と『子ども』を分けて書きましたが、『子ども』のほうがもしかしたら『大人』以上に、大変な危機にさらされているのではないかとさえ思います。子どもはもっと素直にもっと無邪気で野生的であってもいいのではないでしょうか。 大人にはない『子ども』の時間を生きて欲しいと願ってやみません。 <イーダトモコの絵について> 『よっちゃんと木になるネコ』は、イーダトモコが事故で不遇な少女時代を過ごした時に出会ったネコのヤナとの物語をベースにしています。絵本に『ヤナの思い出と墨で絵を描いた切っ掛け』を付記してあります。子どもが一人で読むときは本を開き、本の世界へ入り込みやすいように絵がしっかり見られるサイズにしました。 また絵は、墨で描かれています。墨の黒の中に微細な色彩があり、『ぼかし』と『かすれ』、『余白』をご堪能くだされば幸いです。 子ども、また絵本好きな大人の方、ネコが大好きな方も『よっちゃんと木になるネコ』の世界へどうぞお越しください。 発行 2019 年 6 月 23 日 初版 1 刷 発行所 株式会社彗人社 定価 (本体 1300円+税) 〒 359-0021 埼玉県所沢市東所沢 5-5-7 印刷所 株式会社光陽メディア 製本所 株式会社ハッコー製本 2019 Tomoko Iida & Koichi Iida 2019 Suijinsha NDC913 44P 21×29cm ISBN978-4-909468-02-4 JAN 19 Published by SUIJINSHA,Inc., Printed in Japan.
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Dohriki詩集『手と手』
¥1,650
Dohrikiの詩が16篇入っている詩集。絵は飯田知子。 すべて英語・日本語の対訳です。 あとがきより 18 年前の僕は、9.11も3.11も知らなかった。 1945 年の8.6、8.9 や8.15 は知っていた。インドから帰国し、芸術を僕の命に、僕の自然になりつつあるときだった。僕が向き合っていたのは自分自身であり、過去やこれからのことだったが、結局、今、去来している感情や感覚の残照だったと思う。この詩を握りしめてずっと本にしたかった。言葉たちは僕の手の中で飴玉みたいにドロドロに溶けていた。もう一つの手、知子の画により、放逸な欲望と希望が、リズムを持ち形象化されていった。2021 年12 月、いつでも安心と慈愛に満ち溢れている時代とは限らないが、偉大な芸術は、いつまでも根拠のない果てしない広がりを持ち続けるのだから、僕は作り続ける。 目次 1,魚に蔑まれたクシャミ 2,裏切られた頬と垢抜けた鉄パイプ 3,孵る 4,いとなみ 5,中がうつろにひろがった内臓 6,肉兜 7,2階部屋に移ろい往く劇場 8,何者でもない… 9,知らないおじさんに連れて行かれた… 10,上半身と長靴 11,永久の眠りに基づく 大人の彩り 12,小さな男の子が僕から消えたんだ 13,是非を問われたら 14,水晶の言葉が溢れてくる 15,苦しむことでしか満たされない 16,30000回目の握手 サイズ B5 料金 1500円 出版 株式会社彗人社